デス・オーバチュア
第103話「この地上よりも古き恋




「……また『下界』を覗いているのか……?」
「うん、姉様も一緒に見る?」
「……いや、結構だ……異界竜と戦天使の屠り合いなど見ても面白くもない……」
「そうかな? 天使さん達健気に頑張ってて可愛いよ」
「……可愛い? 戦うためだけに創られたあの戦闘兵器がか?」
「うん。それに異界竜もでっかくて、強くて、格好いいよね、あのパワフルでシャープなフォルムが良いと思わない?」
「……お前の趣味は理解しかねる……」
「……あっ……」
「……どうした?」


異界より現れた巨大な竜の神々と翼を持つ神の下僕達の戦い。
どちらかが滅びるまで終わらない、愚かで、果てしない戦い。
けれど、その中で一人だけ光り輝く人を見つけた。
その人の名は……。



「ルーファス!」
銀髪の少女は勢いよくルーファスに抱きついた。
「ああん?」
怪訝な声を上げるルーファスに構わずに、少女は熱い抱擁を求める。
ルーファスに体を擦りつけたり、ルーファスの体を撫でたりさすったり、愛しげに愛撫を繰り返した。
「……何の冗談だ……クロス……」
「ああ……ルーファス……」
少女の口から切なげな吐息が漏れる。
「…………」
ルーファスは鳥肌がたつような気分だった。
怖い……怖い程に寒いというか、気持ち悪いというか……。
クロスが自分に対して恋人を見るような愛おしげな眼差しを向けてくるなど、悪い冗談、悪夢だった。
その光景を、タナトスは呆然とした表情で鎖の壁越しに見ている。
思考が一時停止した。
「……くっ……」
『……タナトス、怖いよ、その顔……怒ってる?』
「別に……怒ってなどいない……」
いつのまにか、壁の向こうの二人を睨みつけていたのだろうか?
「……怒る理由など……何も……ない……」
そうだ、今はなぜ、こんなありえない『怪現象』が起きているのかを冷静に考えて……。
『……ますます……顔が険しくなっていくんだけど……』
リセットの声は少し怯えを含んでいた。
リセットはタナトスの『中』に住み着いている。
それは、タナトスの心の中に居るともいえて、会話をしなくても、タナトスの気持ちが、感情がダイレクトに伝わってくるのだった。
タナトスは自覚はないようだが、今、相当怒っているし、戸惑ってもいる。
原因は考えるまでもなく解った。
あの鎖の壁の向こうの光景に違いない。
けれど、タナトス本人だけは自分の苛立ちや戸惑いの原因が理解できていないようだ。
『……あのさあ、タナトス、見ているのが不愉快だったら、別に見るのをやめてもいいんじゃないかな……と、リセットちゃんは思うんだけど……』
リセットは恐る恐るといった感じで意見を具申する。
「……何をだ……リセット……?」
タナトスの両手が、金網ならぬ鎖網を引き千切らんばかりに握り締めた。
『ひぃぃぃっ……なんでもない、なんでもないよ……』
リセットは今はこれ以上発言するべきではないと判断する。
苛立ちの理由を教えてあげるのも、『タナトスにはリセットちゃんが居るじゃないの♪』などと軽口を叩くのも、今はとっても危険な行為に思えた。
『案外嫉妬深いのね、タナトスも……どっちに対して嫉妬しているのか知らないけど……』
リセットが独り言のように呟く。
「……嫉妬?」
リセットの言葉の意味がタナトスにはすぐには理解できなかった。
「……ああ、そうか、ルーファスが私の大切な妹であるクロスに抱きついているのが気に食わなかったのだな、私は……」
『…………』
リセットは、抱きついているのは妹の方だろう?とツッコミを入れたかったのだが、その発言は危険な気がしたのでやめておく。
せっかく、タナトスがその結論で自分を納得させようとしているのだ。
下手に藪を突っつくべきではない。
「ふふっ……実に面白いわね」
リンネは、物凄く楽しそうだった。
光輝の乱気流が消えた今、鎖の壁はもう必要ないのだが、このままの方がいろいろと『面白くなりそう』なのであえて残しているのである。
「ふふ……全ては娯楽」
他人の色恋ほど見てて楽しいものはなかった。
時の番人にして、歴史の記録者である魔皇の妃は、その実、ただの昼メロ(魔界単語、意味は愛憎劇)好きである。
彼女は、歴史……彼女の記す物語が面白くなりさえすれば、自分が見てて楽しめさえすれば、それだけで満足だった。
そんなリンネを、エランは困ったものだなといった表情で見つめ、軽く嘆息する。
ここは本当に、ファントムとクリアの最終決戦の地にして、さっきまで究極の超常の力同士がぶつかり合っていた場所なのだろうか?
「……とにかく、とりあえずは、終わりましたね」
この場に居る者の中で、エランだけがドライでクールだった。
リンネの目的が過程を楽しむことなら、エランの目的は何を犠牲にしてでも必ず結果を出すこと、だそれだけが彼女の全てである。
いくつか用意してあった保険的な切り札も使うことなく、儀式の阻止は成功した。
何人か殺しそこなった幹部は居るが、基本的にファントムももう壊滅したようなものだし、とりあえずは……結果は出したと言える。
「……ん?」
幹部といえば、一人気になる者が居た。
エランは、リンネ程ではないが、この洞窟の中で起きたほぼ全ての戦闘とその結果を魔法によって把握している。
トドメを刺されてはいない者こそ結構いるが、基本的にファントム十大天使はほぼ全員『倒されて』はいた。
雑魚というか、その他の者も全てラッセン・ハイエンドという男によって始末されている。
彼の造反、暴走はエランにとって手間を省いてくれた感謝すべき行為だった。
「…………」
何かを思いだしたかのように、エランは周囲を見回す。
ラッセル・ハイエンドと復讐を司る神剣はいつのまにかこの場から消えていた。
誰も気づかなかったというか、誰も彼らの存在をたいして気に止めていなかったのだろう。
「……まあいいでしょう。お礼を言うのも変な話ですしね」
ファントムのメンバーで無傷で生き残っているのはラッセルの他に後一人いた。
コクマ・ラツィエル。
彼は今回のクリアとファントムの最終決戦に一切参加してこなかった。
総帥が倒され、さらにその背後に居た黒幕が倒された今になっても、彼は姿一つ見せない。
それが、エランには気がかりだった。
例え、ファントムのメンバーでなかったとしてもあの男だけは始末しておきたいというのがエランの本音である。
あの男は、クリアにとって、世界にとって危険すぎるのだ。
数千年前の魔導戦争の原因とも言われる、今は海底に没した大陸最強の軍事国家の最後の皇帝。
魔導が滅んだのも、大陸が一つ海に消えたのも、あの男のせいだといっても過言ではなかった。
ゆえに、そんな危険な存在を野放しにはできない。
中央大陸を、名前すら忘れされし古の大陸と同じ目に合わせるわけにはいかないのだ。
「て、いい加減に離れろ……て、おい……」
悪夢が加速する。
銀髪の少女は、目を閉じ、恋人からの接吻を待っていた。
「お前……いいかげんに……」
「いいかげんにしてっ!」
叫ぶような声は、瞳を閉じ、接吻を待っていた少女本人から。
少女は思いっきりルーファスを突き飛ばした。
「……て、てめえ……」
ルーファスは、解放された安堵と、突き飛ばされて尻餅をつかされた屈辱の入り交じった表情で、銀髪の少女を見る。
「……はあはあ……たく、悪夢だったわ……」
銀髪の少女は疲れ切った表情で肩で息をしていた。
とてもさっきまで、夢見るような表情で、恋人と愛をかわそうとしていた少女と同一人物とは思えない。
「……マクロス……シルヴァーナより質悪いわ、あの人……」
「たくっ、ころころと人格代えてるんじゃねえよ、お前は……病院にでも入院するか?」
ルーファスはクロスに何が起きていたのか、全て察しているかのように言った。
さっきの銀髪の少女がクロスなわけがない。
なぜなら、クロスは憎んでいると言ってもいいほど、自分を嫌っているからだ。
とすれば、考えられる、推測される答えは一つしかない。
「いったい、何人いるんだよ、お前は……この多重人格者!」
「安心しなさい、三人よ、三人! これ以上は増えないわよ!」
クロスは逆ギレしたように答えた。
「まったく、セ……ぐぎゃああああああっ!?」
クロスは突然、一人で苦しみだす。
「……おい、さっきの怨霊女の時も思ったが……それ……一人でいきなり苦しみだすの……見てて、かなり怖いぞ……」
「……はあはあ、解ったわよ、あなたの名前は出すなってんでしょう……ふう、仕方がないじゃない! あの人が強制的に発言権奪ったり、主導権を入れ替えようとするんだもん!」
「あの人?……さっきの奴か?」
「そうよ。シルヴァーナと対を成す、神属の方のあたしの力の担当者だそうよ、どういうわけか、彼女があたし達の中で一番『強い』のよ」
「ああ? 主人格のお前より強いだと?」
「ええ、さっきシルヴァーナを止めてくれたのも彼女よ。あたしはシルヴァーナに体譲るって約束しちゃったし、アクセルとの戦いで精神を疲弊させたあたしじゃ力ずくでシルヴァーナと入れ替わることはできなかったの……」
クロスは呼吸を整えるように一息吐いた。
「そういえば、そのシルヴァーナとかいう怨霊女はどうした?」
「怨霊はあんまりよ、せめて亡霊って言ってあげてよね……眠ってるわよ、あたしの中の最も深いところでね……数週間ぐらいは起きないんじゃないの? あらゆる意味で疲れ果ててたみたいだしね」
「そいつは何よりだな。もうアレとは代わるなよ、アレは厄介だ、自分以外のこの世の全てを憎んでいるような奴だかなら……」
「うん……でも、そんな悪い人じゃないわよ。シルヴァーナが表に出ることで、あたしの方がシルヴァーナの心の奥底にしまわれる形になって、彼女の想いが、彼女がどんな人なのかよく解ったのよ。彼女はただ……ううん、あなたに言ってもどうせ理解できないわね。あなたには人間らしい優しさなんてないもの……」
「はっ、よく解ってるじゃねえか……そんな俺に抱いてと言わんばかりに迫ってきたのはどこのどいつだ?」
ルーファスは意地悪く笑う。
「だああっ! だから、あれはあの人……彼女が勝手に……」
「だが、あの女もお前の一部なんだろう?」
「うぐっ……」
痛いところを突かれたといった表情でクロスの口が一瞬止まった。
「そうか、知らなかった、お前が心の奥底ではあんなに俺に恋い焦がれていたとはな……だが、俺が愛しているのはこの世でタナトス唯一人だけだ、悪く想うな」
ルーファスはわざとらしく苦悩するような仕草までして見せる。
「うがあああっ! あなた、明らかにあたしをからかってるわね!? 馬鹿にしてるでしょう!? なんて嫌な奴なの、あなたはっ!」
「照れるなよ。恥ずかしがることはない、女だったらこの俺の虜にならない方がおかしいのだからな」
「うわああっ、鳥肌が立つ! 何言ってるのよ、この自己陶酔者(ナルシスト)!」
「うむ、多重人格者には言われたくないな。お前こそ、自分同士で愛し合ってたりするんじゃないのか? それこそ究極の自己愛、自己陶酔だぞ」
「うっ! 何よ、自分の一部を愛しく思って何が悪いの!?」
「図星か……呆れたぞ……」
「何よ何よ! シルヴァーナはちょっと意地悪だけど優しいし、あの人はあの人であたしとは思えないほどとっても可愛い人なのよ!」
「本物だな、お前……そうか、女なら、自分自身でもいいんだな……うんうん、そうやって自分で自分を愛してろ。タナトスのことは安心して俺に任せ……」
「任せられるか、この変態! 大体あなたの方がよっぽど二重人格者じゃない! 姉様に対する態度とあたしに対する態度のこの差は何!? まったくの別人じゃないのよ!」
「ああん? なんで好きでも何でもないお前に優しくしたり、気を使わなきゃならないんだ? 身の程知らずに俺に噛みついてきながら、殺さないでやってるだけでも感謝しろ」
「うわっ、何それ!? 何その傲慢を通り越した俺様発言は!? いったいあなたどこの王様、神様よ!?」
「ん? まあ、王の中の王……皇だしな、神として崇められたことも結構あるしな……」
「何を訳の分からないことを言ってるのよ!? あなた、妄想癖?」
「この……実の姉に欲情する異常性欲者が誰に向かって口を聞いている!?」
「最低! 最悪! それって百合とかレズとか言われるより傷つくわ! 大体、あたしの姉様に対する純粋な姉妹愛を……」
二人の罵り合いはいつ果てることなく続いた。
魔界の双神である光皇にこんな口がきけるのは、おそらくこの世でクロス唯一人だけであろう。
普通は、光皇に対して一言でも侮辱などを口にしようものなら、その者は瞬時に跡形もなく処刑される運命なのだ。
魔界広しとはいえ、光皇に対等な口が聞けるのは、魔王と魔皇関係者(主に魔眼王の血縁)……指で数えられるぐらいしか存在しないのである。
「なあ……リセット」
『ん? 何、タナトス?』
「あの二人は本当に仲が……良いな……」
『…………』
嫉妬しているのか、微笑ましく思っているのか、タナトスの表情はどちらとも見えた。
だが、それがどちかという真偽よりも。
『………………』
あれが仲良さそうに見えるのは正直どうかと思った。



紫水晶の色のマントともコートともつかない長布で全身を隠した少女は、ゆっくりとした足取りで一人通路を歩いていた。
少女の名はネツァク・ハニエル、人間には有り得ない紫の髪と瞳が特徴的な少女である。
だが、彼女の瞳の色は今は翠色だった。
今、この体を使っているのはネツァクではない、マントの方の人格である。
「…………」
誰にも気づかれずに室内から出るのは拍子抜けする程簡単だった。
あの場に居た者の注意は、一組の男女の痴話喧嘩に集中しており、床に倒れているはずのネツァクのことなど誰も注意をはらっていない。
全ての者の視界から外れた一瞬に近距離転移、それだけで簡単に脱出できた。
「光の皇よ……あなたには彼女が誰なのかきっと解らない……なぜなら、あなたは起源(ルーツ)を間違えているから……」
クロスティーナはとても特種な魂をしている。
彼女の魂はまだたったの二回しか転生していないのだ。
それだけでも珍しいのに、一回の転生にかかる間がとんでもない。
前世であるシルヴァーナの今世は四千年程前の魔導時代だし、さらに一つ前の前世……彼女のルーツ、一番最初の生(今世)に至っては……。
「古い……あまりに古すぎる……まだ、私も……魔界すら生まれていない……大昔……時の彼方……神話よりも古く深く……」
無論、地上、幻想界など欠片も生まれていなかった。
「異界竜と戦天使の屠り合い……古代神族の滅び……そして、超古代神族とは……」
古すぎて地上はもとより、魔界ですら神話にされていない昔話。
光皇と闇皇が魔界を、魔族を創り出す……ほんのちょっと前のお話。
二人の皇の出生に繋がる物語……。
「その縁……想いは……もはや呪いのごとく……」
憎しみだけで、魔王に匹敵する呪いの力を身につけたシルヴァーナという前世も面白かったが、話の広大さ、想いの深さでは、ルーツの世はそれ以上だった。
「巡り会えた奇跡……奇跡を起こすのは人の想い……想いは全ての法則を超える呪い……」
やはり、あの少女は興味深い。
ほぼ魔界と同じ月日を生きてきた自分の生よりも、長い時を超えた想い……しかし、その想いは報われることは決してないのだ。
「同じ魂をしていても、生まれ変わった以上は別人……それが輪廻の絶対法則……」
どれだけ、クロスのルーツ……二つ前の前世の人格が光皇を愛していようと、クロスは光皇を愛さない。
「なんて素敵な悲劇……それとも喜劇? リンネ様……魔皇妃様の気持ちが少し解りましたよ」
他人の人生、運命ほど、見てて楽しい娯楽はなかった。
「……とりあえず、ネツァクはファントムの生き残りの方々と共に行かれるかもしれませんので、その時のための新しい体の手配をしておかなければ……」
クロスティーナという存在の人生を見届けて楽しむために。
ただそれだけのために、セリュール・ルーツは魔王の地位を捨て、時を超えて、ここに存在していた。









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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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